サイバーパンクは、一つの映画やゲームから突然生まれたジャンルではありません。言葉が生まれた時期、文学の潮流が形になった時期、映像から思い浮かべる都市の姿が広まった時期は、それぞれ少しずつ違います。この順序を分けて見ると、ネオンや機械よりも、技術とともに暮らす人々の立場が大切なことが見えてきます。
名前がつく前からあった要素
コンピューターのネットワーク、改造された身体、都市の裏側で生きる人々。こうした題材は1980年代以前のSFにもありました。後のサイバーパンクにつながる先行作品はいくつもあります。ジャンルに唯一の「最初の作品」を決めにくいのは、そのためです。
機械の腕が登場するだけでサイバーパンクになるわけでもありません。その技術を誰が使えるのか、費用を誰が払うのか、使えない人がどう扱われるのか。技術が生活と権力の関係を変えるとき、このジャンルらしい緊張が生まれます。
たとえば、給料の記録と住居への入室に同じ認証システムが使われる街を考えてみてください。問題は認証装置の形より、利用を止められた人がどこへ行けるかです。これはジャンルを読むための例であり、特定の作品の設定ではありません。
言葉が広がった1980年代
cyberpunkという言葉は、1983年に発表されたBruce Bethkeの同名短編に由来すると考えられています。その後、編集者Gardner Dozoisが複数の作家を語る言葉として使いました。1984年刊のウィリアム・ギブスン『ニューロマンサー』は、ジャンルのイメージを形づくる重要な作品となります。ただし、ギブスン一人がサイバーパンクを発明したわけではありません。ブルース・スターリングを含む複数の作家がこの潮流に関わり、その意味をめぐって議論がありました。
「サイバー」は情報網や身体に入り込む技術、「パンク」は既存の権力になじめない人々を考える手がかりになります。ただし、二語を組み合わせれば全作品を説明できるわけではありません。整った未来の機械を見せる作品もあれば、その機械から締め出される人を描く作品もあります。後者に目を向けると、同じ技術の別の面が見えてきます。
映画が示した都市の姿
映画『ブレードランナー』が公開されたのは1982年です。サイバーパンクという言葉が文学の潮流として広まるより早く、雨の街、巨大な広告、古びた建物と新しい技術が同居する映像を示しました。その表現には、フィルム・ノワールなど過去の映画の影響もあります。
つまり、この映画が完成済みの「サイバーパンクの決まり」を映像化したわけではありません。後の人々がジャンルを想像するときに参照する、重要な作品の一つになったのです。文学と映像は、互いの受け取られ方に影響してきました。
日本の作品が広げたもの
日本の映像作品にも、単一の型はありません。たとえば、『AKIRA』の都市と若者、『鉄男』の身体変化、『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』の身体とネットワークは、それぞれ異なる表現です。「日本のサイバーパンク」という一語にまとめても、作品ごとの関心は同じではありません。
西洋の初期作品が日本の都市のイメージを取り入れた一方、日本の制作者たちも独自の作品を生みました。一人の作家からすべての映像作品へ、一直線に続く歴史として考えると、この往復が見えなくなります。
歴史を知ってから世界を見る
ネットワークは人をつなぎ、身体を補う技術は自由を増やせます。同じ仕組みが、利用する人の選択を狭めることもあります。技術の可能性と、その管理を誰が握るかという問題が、さまざまな作品で形を変えて現れます。