サイバーウェアとは、物語の中で身体に取り付けられたり、身体の一部と一体になったりする技術です。失った手足を補い、感覚を広げ、情報網につながる装置などが考えられます。大切なのは性能だけではありません。装置を使う人の自由、負担、自分自身の感じ方がどう変わるかです。
能力だけを見ない
同じ人工の腕を持つ二人を想像してください。一人は十分な支援を受け、使い方も自分で決められます。もう一人は、装置のソフトウェアを所有する会社のために働き続けなければなりません。見た目の能力が同じでも、暮らしは違います。装置の周囲にある契約や制度が、改造の意味を変えるのです。
身体改造は力を与えることもあれば、必要に迫られた選択や、流行、強制になることもあります。すべてを進歩か悲劇のどちらかに決めると、その幅が見えません。新しい能力を喜びながら、付属する契約には不満を持つ人もいるでしょう。
身体を誰が保守するのか
機械には部品の交換や修理が必要です。それが身体の一部なら、保守は些細な話ではありません。古い機種の部品を誰が供給するのか。診断記録を誰が保管するのか。製造元が支援を終えたらどうなるのか。こうした問いは、実在の医療機器について断定するものではなく、架空の社会で依存を考えるためのものです。
プライバシーにも同じ視点が使えます。身体の状態を読み取る装置は、本人に役立つ情報を与えるかもしれません。しかし別の組織がその情報を独占すれば、監視の手段にもなりえます。装置そのものだけでは、公平な仕組みかどうかは分かりません。
中心にいるのは人
身体が変わると、本人は変わるのか。それとも周囲の見方が変わるのか。人物を単なる警告の記号にせず、改造の前後にどんな選択肢があったかを見ると、物語は深まります。ハイテク・ローライフは、高度な装置と不安定な生活が同居する理由を考える入口です。