ポストサイバーパンクは、技術が日常に深く入り込んだ世界を受け継ぎながら、そこで誰の生活を中心に描くかを変えた作品を考えるための批評上の呼び名です。従来のサイバーパンクで社会の周縁にいる人物を追うことが多いのに対し、仕事や家族、組織内での責任を持つ人物が中心になる場合があります。単に「暗い未来」と「明るい未来」を分ける言葉ではありません。
この呼び名の出典
作家・編集者のLawrence Personは、1998年に『Nova Express』へ発表した「Notes Toward a Postcyberpunk Manifesto」で、この比較を提案しました。文章は1999年にSlashdotにも再掲載されています。Person自身、固定した所属を持つ運動ではなく、作品を読むための暫定的な呼び名として扱っています。以下の比較はこの文章を根拠とし、架空の場面の読み解きは私たちの説明です。
社会、技術、行動を比べる
- 人物の立場:Personが示す典型的なサイバーパンクの主人公は、社会から離れた、あるいは押し出された人物です。ポストサイバーパンクの例では、仕事、家庭、責任を通して社会の中に位置づけられることが多くなります。どちらにも例外はあります。
- 技術:情報網や身体の技術が日常の一部である点は共通します。ポストサイバーパンクだから技術が安全になるのではなく、技術を前提にできた社会で人がどう暮らすかを考えます。
- 行動:制度の外にいる人物は抜け道を探したり、秘密を暴いたりするかもしれません。制度の中にいる人物は規則を直し、仲間と組み、別の仕組みを作ろうとするかもしれません。一つの物語に両方の行動があっても構いません。
- 雰囲気:Personによれば、ポストサイバーパンクの未来は必ずしもディストピアではありません。ただし楽観的であることが必須条件ではなく、暗い場面があるだけで従来型に決まるわけでもありません。
交通、給料、通院が同じ本人認証サービスにつながる架空の街を考えます。利用を止められた配達員は、ゲートを迂回する道を探すかもしれません。サービス内で働く職員は、記録の誤りを見つけ、異議申し立ての仕組みを変えようとするかもしれません。同じ街でも人物の立場によって物語の問いが変わります。この街と人物は説明用の創作であり、既存作品の設定ではありません。
作品はどう位置づけられるか
Personはウィリアム・ギブスンの『ニューロマンサー』(1984年)を典型的なサイバーパンク作品として挙げます。一方、ブルース・スターリングの『Islands in the Net』(1988年)やニール・スティーヴンスンの『The Diamond Age』(1995年)を、ポストサイバーパンクを考える例に挙げています。とくに後者では、従来型の主人公に似た人物が物語の中心から退いた後、誰が中心になるかに注目しています。これはPersonによる分類と論点であり、作品の公式なジャンル指定ではありません。
境界は明確ではありません。Person自身も分類しにくい作品を挙げ、定義が硬すぎる可能性を認めています。一つの小説が社会から排除された人と組織の内部にいる人の両方を描くこともあります。呼び名を当てはめることより、誰の視点から技術社会を見るかを問うために使うのが有益です。